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それぞれ東京、大阪、宮崎、高松空港から出発してもらい、16日の午後六時には台北市のRoyal Seasons Hotel(皇家季節酒店台北南西店)に集合し、旅の初めに5日間の旅の予定説明と親睦を図る会食を宿近くの「御珍軒」で行いました。
御珍軒
17日の初日 何はさておき故宮博物院である。ホテルから歩いて2,3分のところに故宮博物院行のバスが出ており、空港で買ってきてもらった台湾版Suicaである悠遊卡(Easy Card)を使ってまずは順調なスタート。
故宮博物館の前で
お目当ての「白菜」像は折から台中の花博覧会に貸し出し中でしたが、午前中の時間を丸々古代の文書から乾隆帝時代の精巧な工芸作品などを鑑賞。
正午過ぎには再びEasy Cardでバス移動し、淡水線の士林駅前で牛肉麺を。95元だけど美味かった。合成肉のような牛肉片は残した人が多かった。
士林食堂
捷運(地下鉄MRT)の士林駅から本日の目的地淡水駅まで。30分弱。台湾の若者は優しくほとんどすべての若者が我々を「博愛席」に座らせてくれました。この後も電車のなかで立ちんぼだったことはありませんでした。 淡水駅前からバスで紅毛城まで。
紅毛城
紅毛城(こうもうじょう)は古くはセント・ドミニカ城(聖多明哥城)、アントニー要塞(安東尼堡)と称され台湾新北市淡水区に残る古跡。1628年、当時台湾北部を拠点としていたスペイン人により建設され、スペイン勢力撤退後はオランダ人により1644年に再建された。1867年以降はイギリス政府に租借され、当時のイギリス領事館が業務を開始し、それは1980年に中華民国政府に所有権が移管されるまで続いた。紅毛城は台湾に現存する最古の建築であると同時に、内政部により国家一級古跡に指定されている。また、2001年の台湾十大土木史蹟にも選定されている。 ―Wikipediaよりー
そばにある真理大学
帰りは淡水河の河辺を歩きながら、やがて中正路の旧老街をぶらぶら
淡水老街
珍しい食べ物にも手を出したいけれど<鐵蛋>とは?「煮込んで鐵のようになった卵」らしいが、誰も挑戦しませんでした。
鐵蛋
その代わりに古早味現烤蛋糕というふわふわのカステラをK君が絶対買って食わねば、と30分以上も並んで買ってくれました。 ある人は食べ過ぎてこの日の夕食は何も食べられなかったとか。 宿に帰って二班に分かれて行動しました。一班は「京劇」鑑賞=65歳敬老割引で半額。 →(京劇関連の写真があれば掲載) もう一班は台北駅で「タイ料理」を。
古早味現烤蛋糕
3日目の18日(日曜) 外国人専用のチケット「新幹線3日間乗り放題」(2200元)で台北駅から台南まで台湾高速鐵道=新幹線で移動。台南駅で、本日の現地案内人と呼ぶのも気が引ける静宜大学教授にして佐藤春夫研究の第一人者の邱若山先生と合流。レンタルしてもらったマイクロバスで一路烏山頭水庫(ダム)へ。
路烏山頭水庫
烏山頭ダムは1920年に着工し1930年に完成した、嘉南大圳の重要な水利工事の一つであり、台湾初期のダムの一つである。計画は日本人技術者の八田興一により策定され、嘉南平原の農業灌漑を主目的として建設された。 ―Wikipediaよりー 昨年でしたか、大陸統一派の男性によって像の首の部分が破壊されましたが、すぐに予め保存していたレプリカによって新しくその首も挿げ替えられ、日曜日ということもあってたくさんの台湾の観光客も訪れていました。 その農民を水害から守り稲作の水路を確保した灌漑事業の父・八田與一敬慕していつもこのように花束が飾られています。 植民地時代の日本人としては今に至るまでもっとも現地人から敬愛されている方で、彼の名前で検索すると様々な文献の他にアニメのDVDも手に入ります。
八田像
八田像前で
八田夫人像前で
上の写真は八田與一の当時の住居(復元)跡にある外代樹(とよき)夫人の像の前で。 彼女は與一がフィリピン海上で戦死したあと、ダムの放水口で投身自殺された。 昼食は台南市に戻り、台南伝統料理店「周氏蝦捲」で、薄味で私たちの味覚に
台南伝統料理店「周氏蝦捲」
昼食をはさんで安平堡へ 安平古堡(あんぴん こほう)は旧称を奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)、熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城、台湾城ともいう、1624年に建設された台湾で最も古い城堡。 建城以来、オランダ統治時にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていた。 ―Wikipediaよりー
安平堡
この後は台湾国立文学館へ 台湾最初の国家級文学館で台湾近代文学の史料の宝庫。建物は旧植民地時代の旧台湾台南州庁舎である。専門家の邱さんから説明をいただく。
国立文学館
内部にも植民地時代の建物が保存されている
国立文学館内部
この後は赤嵌楼(せきかんろう)へ オランダ人によって築城された旧跡である。 原名は「プロヴィンティア」(Provintia、普羅民遮城)と称し、1653年にオランダ人と漢人の衝突事件である郭懐一事件(1652年)の後に築城された。 郭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となった。 ―Wikipediaよりー
赤嵌楼
赤嵌楼の二美妃
郭成功
この後日没を心配しながら国立成功大学の構内のガジュマロの大木を見学に。日立の「この木何の木、気になる木」よりも大きく見えました。
成功大学の大樹
暗くなってからFushin Hotel(富信大飯店)に到着。 ここで邱先生とお別れ。 土佐和紙と「土佐日記」のお土産に感謝の気持ちを託して。 夜はあっさり目の食事で済まそうと意見が一致して近くの屋台飯<梅鑫海>へ。 ここは有名な屋台のようで(室内にも何か所かテーブルはあるが、圧倒的に外のテーブル数が多く、それも歩道を占拠してテーブルを出している)たくさんの客が待っている。ここでN君の大活躍が空腹の我々を救う。中国大陸での仕事で身につけた中国語を活かして、この店の主人と話をつけ、見事な交渉術でそれほど待たずターブルに着くことができました。
屋台飯<梅鑫海>
美味しい海産物が中心でしたが、最初に出て来た「付き出し」の炒め物の正体が分からず、みんな用心しながら箸をつけましたが、「ワリといける!」との誰かの一声で皆さん一斉に箸をだしました。 結構食べることには臆病なKさんも これ美味しい!と。 そして、やはり心配になって配膳のお兄さんに筆談で質問しました。なんと、<牛蛙!>それでも皆さん美味しかったよ、と意外な反応でした。 翌19日は
午前中に昨日見残した孔子廟を見学の後に、タクシーで新幹線台南駅まで移動して30分もかからない高雄まで移動。
蓮池潭
蓮池潭では後ろに見える龍虎塔にも上り、「龍の口」から入って「虎の口」から出ることによって、過去のすべての罪を帳消しにしてもらい?ました。 このあとタクシーで高雄市内の古いお寺「三鳳宮」に行きました。300年ほどの歴史のある道教のお寺です。
三鳳宮
この後先遣隊の偵察により近所の日式涮涮(しゃぶしゃぶ)鍋の店を見つけてもらい、28℃の中ふうふうと「豚肉からホタテ・エビ・アサリ・牡蠣・刺身切り身」など8種類以上の具材でいただき、締めはライスを入れて雑炊。
日式涮涮(しゃぶしゃぶ)鍋の店
このあと徒歩で高雄地下鉄市議会前まで。そこから美麗島駅へ移動。
美麗島駅構内
美麗島駅構内を見学して、再び新幹線で台南駅までもどり午前中閉まっていた、植民地時代そのままの林百貨店へ。
林百貨店
20日は 台南から昼前に台北に戻り、今夜の宿Santos Hotel(三徳大飯店)に荷物を預け、 ①九份方面 ②台北市内(228和平公園~台湾大学医学部付属病院~ワンタンで有名な、「高雄五福扁食」店~龍山寺)に分かれての行動。 ①班<九份方面> 別途レポートします。
②班 二人が見入っているのは「228祈念碑碑文」で、日本敗戦後に入台した蒋介石率いる国民党の政府の弾圧下に犠牲になった数万人の本省人の悲史が刻まれている。祖国に復帰できるとその「光復」を喜んだ台湾人にとっての、裏切りの白色テロが続く悲劇は戒厳令が解かれる1987年まで続いた。 その下は台湾大学医学部付属病院。
228和平公園
台湾大学付属病院
植民地時代に建てられた台湾大学医学部付属病院は現在もこの外様のまま使用されている。実は同行の一人は湾生(台湾生まれ)で、当時台南に住んでいて一歳の時に、この病院に入院していたという。医師のW君もいたが、文書課にいってカルテを調べてみるということはしなかったが、わざわざ当時は7~8時間はかけて汽車で診察に出向いた親御さんのお気持ちに応えてくれたような、実に壮大で威厳のある建物でした。 ジャッキーチェンも来たことがあるというワンタンで有名な店で食事をして台湾一の古寺・龍山寺を訪ねる。 龍山寺にはたくさんの欧米人を含む外国人が見学に来ていたが、その人並みの中には地元の信者と思しき方々もたくさんおられ、おりから起きたお声明(しょうみょう)の声が一斉に和している境内には雑踏の中にさえ荘厳な雰囲気が漂って、旅の終わりを締めくくるにふさわしい訪問先となりました。 最後の夜はサントスホテルのレストランで台北最後の夜の歓談を楽しみました。
龍山寺
同行の一人の感想「台湾の人々のやさしさ、歴史、粉塵のすごさ、ヘルシーな食事、日本化されたような社会、そしていろいろな漢字のお勉強ができたことや体験できたこと」 岡林 稔 記