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我孫子散策 (H24.11.7)


我孫子駅南口周辺観光案内



我孫子駅南口 我孫子市ゆかりの文化人の碑

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「秋の手賀沼を望む野鳥と自然の道」に参加しました。

「駅からハイキング」にはいつもは一人で参加するのですが、今回は我孫子在住のosugiさんとtomiiさんと一緒に散策することにしました。

今回はさらにosugiさん、tomiiさんの友人で、我孫子に詳しい女性が案内役として加わって下さることになり、4人での散策でした。


コースの概要は次のとおりです。

我孫子駅→嘉納治五郎別荘跡地→杉村楚人冠記念館→我孫子市白樺文学館→志賀直哉邸跡→旧村川別荘→我孫子市鳥の博物館→千葉県手賀沼親水広場「水の館」→道の駅しょうなん→満天の湯→手賀沼公園→我孫子駅

コースの歩行距離は約8.4km、施設の見学時間を含む所要時間は約3時間10分です。


近距離に散策スポットが集中しています



嘉納治五郎別荘跡地



三樹荘の短歌のレリーフ

前半は、我孫子に在住した著名人の足跡を訪ねるということで、歴史散歩、文学散歩という感じでした。

最初に訪ねたのが、「嘉納治五郎別荘跡地」です。

嘉納治五郎は柔道の始祖、講道館の設立者として有名ですが、文部省参事官、高等師範学校校長といった教育者としても多大な功績を挙げました。

嘉納治五郎は明治44年(1911年)に我孫子に別荘を設けました。


大正3年(1914年)には嘉納治五郎の甥の柳宗悦が、嘉納の隣の三樹荘で新婚生活を始めました。

白樺派の中心人物の一人であった柳宗悦の誘いにより、志賀直哉夫妻、武者小路実篤夫妻など、相次いで白樺派の仲間が我孫子に移住し、三樹荘を拠点として我孫子の地で創作活動を大きく発展させます。

こうした白樺派の文人たちの活動を広く次代に伝えるために、「我孫子白樺文学館」も建設されています。


我孫子市白樺文学館



志賀直哉邸跡 書斎

白樺文学館の斜め向かいには「志賀直哉邸跡」があります。

志賀直哉は大正4年(1915年)〜大正12年(1923年)に我孫子に在住し、ここで「城の崎にて」「暗夜行路」などが誕生しました。

現在は公園(緑雁明緑地)として整備されており、小さな茶室風の書斎が残っています。



杉村楚人冠記念館


また、嘉納治五郎別荘跡地に近くに「杉村楚人冠記念館」があります。

杉村楚人冠は、明治末期から昭和前期に東京朝日新聞で活躍したジャーナリストです。

新聞社内に調査部や記事審査部を創設する、アサヒグラフや縮刷版を発行するなど、日本初の試みを行った先進的な新聞人でした。


杉村楚人冠記念館



子の神古墳



子の神古墳への上り坂

「志賀直哉邸跡」から300mほど東に進んだ丘の上に古墳があります。

手賀沼を見下ろす丘の上には「子の神古墳群」と呼ばれる14基の古墳があります。

このうち、子の神4号古墳、5号古墳ははっきりと盛り土がわかる円墳です。



旧村川別荘 母家



旧村川別荘 母家のガラス(波を打っています)


古墳からさらに300mほど進んだ左手が「旧村川別荘」です。

東京帝国大学教授で西洋史の大家である村川堅固が設けた別荘です。

村川堅固は熊本出身で、熊本の第五高等学校に入学した頃、校長として赴任したのが嘉納治五郎でした。

嘉納から「巴投げ」を習ったという逸話があり、大学卒業後も一時期秘書を務めるなど、終生変わらぬ師弟関係を結びました。

堅固が我孫子に別荘を設けたのも嘉納の影響があったからだといわれています。


旧村川別荘 新館



旧村川別荘 新館

大正10年(1921年)に、我孫子宿本陣にあった離れを移築・一部改装して母家としました。

また、昭和2年(1927年)には、朝鮮半島での古墳調査に際して、現地の建物から得た印象を元に新館を建てました。

新館は関東大震災を教訓にコンクリート基礎、銅板葺きとしています。

「旧村川別荘」に我孫子を見下ろす丘の上に立てられた別荘の地図がありました。



別荘の地図



子の神大黒天


「旧村川別荘」の隣に「子の神大黒天」があります。

子の神大黒天はネズミを使徒とする大黒天がまつられています。

源頼朝が行脚の途中、我孫子の近くで重い脚の病にかかった折、夢の中にネズミに乗った老人が現れ、ヒイラギで足を祓うと治ったと伝えられています。

境内には珍しい七福神が奉納されていました。


七福神



我孫子市鳥の博物館



我孫子市鳥の博物館

「旧村川別荘」から300mほど進むと左方向に我孫子市役所があり、右前方には「千葉県手賀沼親水広場」が広がっています。

「千葉県手賀沼親水広場」を右に見ながら400mほど進んだ左手が「我孫子市鳥の博物館」です。


「我孫子市鳥の博物館」は、鳥類について総合的に研究、展示する日本で唯一の博物館です。

話題の米海兵隊のオスプレイ(日本名:みさご)にも出会うことができました。

我孫子市鳥の博物館の裏手に「山階鳥類研究所」があります。

「山階鳥類研究所」は、鳥の研究をしている日本で唯一の研究機関です。


オスプレイ(見本名:みさご)



山階鳥類研究所



水の館

「我孫子鳥の博物館」の前方に広がっているのが、「千葉県手賀沼親水広場」です。

この親水広場は,流域の都市化により手賀沼の汚濁が進む中で,大正期に白樺派の作家たちがその作品に描写したかつての美しい沼を取り戻したいという県民の熱い願いに支えられ,千葉県が平成3年の「県民の日」(6月15日)に開園したものです。

3.3ヘクタールの広い敷地に「水の館」と「広場」が設置されています。



水の館の展望室から



水の館の展望室から


「水の館」は,高さ25mの展望室がある3階建の建物です。

展望室からは、四季折々の手賀沼の姿を眼下に一望でき、晴れた日の澄みきった空には、遠く筑波山や富士山展望を楽しむことができるとのことです。


水の館



手賀大橋

「千葉県手賀沼親水広場」の西側には、我孫子市若松と柏市箕輪新田を結ぶ全長415mの「手賀大橋」が架かっています。手賀沼のほぼ中央に位置しています。

「手賀大橋」からの景観も素晴らしいです。



手賀大橋からの展望



手賀大橋からの展望


「手賀大橋」から西の方向に1kmほど進んだところが「手賀沼公園」です。

「手賀沼公園」は手賀沼畔約4.6ヘクタールに広がる公園です。

公園の突端に周囲を一望できる公園岬があります。


手賀沼遊歩道



手賀沼公園



手賀沼公園



串揚げ OGAWA

手賀沼公園から我孫子駅に戻り、我孫子駅近くの「串揚げOGAWA」で昼食を兼ねた「完歩ぃ」で元気を回復し、ハイキングを無事終わりました。


        風来坊


手賀沼の光景(追加)

今回一緒にハイキングをしましたosugiさんが、手賀沼の素晴らしい光景を届けてくれました。



我孫子中心部



水鳥



手賀沼噴水 今回は河童が撤去されていました



手賀沼 極彩色の朝焼け



朝日



朝日・屋形舟


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