当主津野氏一族は平安時代から中央文化との交流につとめていたようだし、室町時代にはこの地方から京都の五山で活躍した「義堂」「絶海」といった日本を代表する名僧が出ているとか。
ところで龍馬は1853年、19歳の時江戸千葉周作道場に剣を学ぶ為に土佐を出た。
たまたま7号の神田界隈のページをめくっていると「お玉が池千葉周作道場跡」が病院と目と鼻の先にあることがわかり訪ねてみた。
龍馬は最初千葉周作の弟定吉に師事したようであるが(ダックさんのコラム投稿による)だとしても京橋だったようなので大して離れてない。
現在東京にお玉が池なる地名は無いが、お玉が池の跡地に「お玉が池稲荷」が神田岩本町交差点愛媛銀行のビルの谷間にあった。
かつては上野不忍池の2倍もある大きい池だったようであるが、江戸時代に埋め立てられたようだ。
千葉周作道場「玄武館」もこの近くにあった。
当時はこの界隈は広大な上屋敷や学者、医者等の文化人の街だったようで立地条件にも恵まれ門弟3000人を数え大繁盛だった模様。
儒者「東条一堂の瑤池塾」と隣合わせだったようで玄武館の跡地にそのことを記した「右文尚武の碑」が建っている。
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