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第8回Kホームクラス会 その2 (H26.5.17〜5.19)


唐津城



唐津城



唐津城

Kホームクラス会2日目は、姪浜駅に9時に集合し、レンタカー3台に分乗して佐賀県に向かいました。

最初に訪ねたのが「唐津城」です。



唐津城



唐津城


唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高が、慶長7年(1602年)から7年の歳月を費やして築城しました。

築城には、九州諸大名の加勢を受け、名護屋城の解体資材を用いたともいわれています。

城は、本丸、二の丸、三の丸、外曲輪に分かれています。

東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれています。


唐津城



唐津城


唐津城



唐津城からの展望



唐津城からの展望



唐津城からの展望

唐津城築城当初は、天守閣はありませんでしたが、昭和41年(1976年)に文化観光施設として天守閣を建てました。

天守閣内は郷土博物館になっており、唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、唐津の歴史に触れることができます。

また、展望所からは玄界灘と虹の松原の雄大な景観や、松浦川と城下町唐津の風景を見ることができます。



唐津城からの展望



唐津城からの展望


次に、曳山展示場を見に行きました。

城下町としての唐津の町は、慶長の頃(西暦1600年頃)寺沢志摩守広高が唐津城を築いた時に始まりますが、唐津っ子の産土神である唐津神社の秋祭は、築城前の古くから行われていました。


唐津城からの展望



曳山展示場



曳山展示場

町人衆の篤い敬神の誠は、文政2年(1819年)刀町の赤獅子の奉納に現われ、以来明治9年までの57年間に15台の曳山が次々と奉納され(うち紺屋町の黒獅子は明治中期に損滅)これらの貴重な町人文化の遺産は、幾多の苦難に耐えて守り継がれ、曳き続けられてきました。



曳山展示場


曳山展示場



唐津神社


豊穣の秋祭「唐津くんち」は、毎年11月3日・4日に行われていますが、2日の夜は宵曳山と呼び、14台の曳山は飾り提灯に彩られ、万燈に映える金銀丹青も鮮やかに華麗なる巡行が展開されます。

曳山展示場には14台の曳山が展示されています。


唐津神社



旧高取邸



旧高取邸



旧高取邸

次に旧高取邸を訪ねました。

旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(1850〜1927年)の邸宅です。

唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2300坪の広大な敷地に、大きく2棟の建物が建っています。



旧高取邸



旧高取邸


平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。

和風を基調としながら洋間をあわせ持つという近代和風建築の特色を備える一方、大広間には能舞台を設けるなど独特のつくりになっています。

また、杉戸絵や欄間などの意匠にも見どころが多いのが特徴です。

残念ながら建物内は撮影禁止で、紹介することができません。


旧高取邸



海中魚処・萬坊



海中魚処・萬坊



海中魚処・萬坊

次に唐津を離れ、昼食のため「海中魚処・萬坊」を訪ねました。

「海中魚処・萬坊」は、玄界灘の呼子の波間に浮かぶ海中レストランです。

萬防は、船の音と呼子の波の音だけが響き渡るのどかな所に位置しており、呼子の海に浮かぶ大小の山々と呼子大橋を同時に望むことのできる場所にあります。



海中魚処・萬坊


海中魚処・萬坊



玄界灘



海中魚処・萬坊


呼子の海に架かる桟橋を渡り、一歩足を踏み入れると、店の中央にある大きないけすが目に飛び込んできます。

呼子萬坊の海中レストランは、日本で最初に作られた海中レストランとのことです。

レストランは、何層かに分かれていて、下の階ではいけすをぐるり囲む席になっていて、海の中という異空間での食事を楽しむことができます。


海中魚処・萬坊



海中魚処・萬坊



海中魚処・萬坊



海中魚処・萬坊

上の階は、玄海灘を借景にした風光明媚なお座敷になっています。

50畳の大広間をはじめとして、宴会などに利用できる多くのスペースが準備されているとのことです。

今回は、上の席で玄界灘の光景を眺めながらの昼食となりました。


佐賀は陶磁器の名産地であることから、伊万里焼と有田焼の産地を訪ねました。

伊万里では「ノリタケ・アウトレット伊万里」を訪ねました。

伊万里にあるノリタケの工場内アウトレットショップで、看板もないわかりにくい場所でしたがどうにか到着。

店内には、洋食器を中心として、数多くの品物が並んでしました。


玄界灘・呼子の海



有田陶磁の里プラザ



有田陶磁の里プラザ



有田陶磁の里プラザ

次に、「有田陶磁の里プラザ」を訪ねました。

「有田陶磁の里プラザ」では200m余りの中央道路をはさんで、25の有田焼の店舗が軒を連ね、日用食器、贈答品、営業用食器、高級美術陶磁器などの陶磁器が販売されています。

眺めるだけでも素晴らしい陶磁の里プラザです。

ギャラリーやレストラン、休憩所も完備しています。


「有田陶磁の里プラザ」から、本日の宿泊場所の嬉野温泉・大正屋「湯宿 清流」へ。

嬉野温泉は、浸かるだけでつるつるスベスベのお肌になる!と全国的にも注目を集めています。女性にはとくにうれしい「夢の温泉」には、こんな由来があるんですよ。

伝説によると、その昔、神功皇后が戦いの帰りにこの地に立ち寄られ、川中に疲れた羽根を浸していた白鶴が、元気に飛び立つ様子をごらんになったそうです。

そこで、戦いで傷ついた兵士を入れてみたところ、実は温泉が沸いていて、たちまち兵士の傷が癒えたのだとか。それを大変喜ばれた皇后が、「あな、うれしいの」と言われたことが、嬉野の地名の起源と伝えられています。


有田陶磁の里プラザ



有田陶磁の里プラザ



有田陶磁の里プラザ



有田陶磁の里プラザ

また、文化9年(1812年)のシーボルトの『江戸参府紀行』には、「この源泉を科学的に調査したビュルガー君は次の結果を得た。・・・中略・・・この水の中には主として硫酸塩と少量の塩酸塩が溶解して含まれていると考えられている。注目すべきことは、源泉から遠くないところの石膏床に天然の硫黄色が存在していることである。」と泉質についてかなり詳しく述べられています。

「東西遊記」や「西遊雑記」など、多くの紀行文・旅日記にも嬉野温泉のことが書かれていて、江戸時代にはかなり知られた温泉であったようです。



嬉野温泉・懇親会


今回宿泊する大正屋「湯宿 清流」は、歴史ある嬉野温泉の中では親類の部類に入るとのことです。

しかしながら、系列の大正屋と椎葉山荘で長年にわたって築き、磨き上げてきたサービスを提供しているとのことで、「日本三大美肌の湯」として知られる嬉野温泉に浸りながらゆっくり宿泊することができました。


湯宿 清流



嬉野温泉



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             竹村


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