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第7回Kホームクラス会 追記

「第7回Kホームクラス会その2」でレポートしたように、2日目の夕食会は、川上君ご推薦の「そば茶寮 澤正」でした。
この「そば茶寮 澤正」に関連する本が、クラス会の開催された11月に出版されました。


川上君から岡林君へのメッセージ
「澤正」さんの前のお家の左側のお家が、清少納言が晩年を過ごしたお家と言われています。苦しい目をして歩いていただいた一帯を月の輪地域と言いますが、今度、瀬戸内寂聴さんが「月の輪草子」という新刊を出されました。」


岡林君からKホームクラス会参加者へのコメント
25000歩の紅葉の道の果てにたどり着いた、泉涌寺からだらだらと降り始めた小径のそばにあった蕎麦庵「澤正」。その隣が晩年の清少納言の庵であったことにいたく感動し、すぐに11月に初版が出たばかりの「月の輪草子」を手に入れて読んだことでした。川上君へのお礼かたがた「読書感想文」を提出いたしました。時間のある方はご笑覧ください。


読書感想文


永観堂



永観堂

瀬戸内寂聴著『月の輪草子』(講談社、2012年11月)の感想文です。

横尾忠則装幀の真っ赤な表紙、その帯にも書かれているように、「清少納言が私に乗り憑って(うつって)くれた」その気の入れ方で、90歳を過ぎた瀬戸内寂聴さんが、90歳の清少納言として(実際は60歳の直前に亡くなっている説があるものの没年不詳)、1000年前の京都に蘇って、心に移りゆくかずかずを、その怪しげに見せる老境の意識のなかで語る言葉が気持ちよいほど“古希”の文学青年の胸にも染みこんできました。


冒頭から「澤正」のある月の輪あたりが舞台となるシーンがありました。

晩年の清少納言はお仕えした一条天皇の妻中宮定子様の御陵近くに庵を結び、その日も皇后様のお墓詣りから帰る途中で、真黄色の山吹の花が咲き乱れた、私たちが川上君から連れて行ってもらった蕎麦処「澤正」辺りの、あの小径で宮仕えの女官たちが「清少納言の庵は、このあたりではないか」とうわさ話をするのを、彼女が木陰に隠れて盗み聞きする場面です。


永観堂



永観堂



永観堂

さんざん彼女の悪口を言い「皇后さまあっての清少納言ですよ。皇后様があのように悲運でお亡くなり方を遊ばしてからは、清少納言の存在などたちどころに消えてしまいます」とひどい言葉が続き、最後には「(清少納言も)ひどく落ちぶれたものじゃないか」という話を聞くに至って、「わたしはかくれていた山吹のしげみの中で、黙ったまま衣の裾をまくって放尿してやった」と90歳の清少納言に驚かされます。


しかし「月の輪草子」は煌びやかな平安の世界が繰り広げられる後宮が舞台で、当時の高級貴族たちは、自分の娘を後宮に入れ、今上帝の寵愛を受けて皇子を生み、やがて帝位につけることが生き甲斐のようなもので、そうした貴族たちの、なかでも彼女が仕えた中宮定子様の兄たちとその叔父筋にあたる中関白家の人々の盛衰を描いていますが、読みどころは、ご兄弟の罪に殉じて出家するつもりで髪をきられた定子さまの、丁度そのとき帝の胤をやどしていたこの定子さまを取り巻く一連の出来事の回想でした。


永観堂



南禅寺



南禅寺

その皇后定子さまが25歳で亡くなられ、降りしきり雪の中をお送りした回想は、90歳の清少納言という設定で、「わたしの皺ばんだ頬に熱い涙がながれていた。わたしの死を泣きながら見送ってくれる人たちは、もう一人もいない。二人の夫、ひそかに情を交わした有縁の男たち・・・すべては過ぎ去ってしまえば一様の幻だ。霏霏と降る雪がかき消してしまう幻」と、まさに「夏の終わり」から「美は乱調にあり」を書き綴った瀬戸内寂聴さんの情念の世界が垣間見られます。


少納言はまさに寂聴である読み方から抜けきれませんでした。「だまされた、捨てられたと泣いて恨む女をみるだけで、叩きのめしてやりたいほど腹が立つ。尽くしたのに報われないと恨めしげに愚痴る女も蹴飛ばしてやりたくなる」とか、さらには少納言は二度の結婚もしていて、「則光、行成、斉信、経房、実方、成信。最初の夫だった橘則光以外は、すべて他人だ。この中で誰と誰とがわたしと媾ったなど、忘れてしまった」と回想される場面もあります。


南禅寺



高台寺



高台寺

90歳になった清少納言という虚構が見事に瀬戸内寂聴さんの本性を紡ぎだし、虚構の文は、少納言の心を借りて寂聴さん以上に奔放な情念を吐露しているように思われました。別れた則光が「でも、いもうと(妹)と、せうと()の関係はこの先も」続けようと着物の上から彼女を抱こうとすると、「そんなこと、虫が好すぎるわ。わたしだって、新しい男みつけてやる」と、まさに「すざまじきは・・・・」と「枕草子」の一つの章が彷彿とするシーンです。


また、当時の通婚(かよいこん)制度に関しても「結婚しても妻が嫌になったら通うのをやめてしまえばいいし、妻の側からでも、夫をいやになれば、通ってきても家に入れなければ離婚につながる」と享楽派にとって好都合な通婚肯定説は、寂聴節でもあるのです(最も当時は離婚の概念はなかったと言うべきか)

しかし仏門にあられる寂聴さんらしい言葉も随所に少納言の言葉となって出てきます。中宮定子さまが実家の衰亡に胸を痛め、諸行無常の仏法は分かっていても、これから先何が起こるか心配で仕方ない、と洩らす場面があります。


高台寺



清水寺



清水寺

すると少納言は「それは思いすごしでいらっしゃいます。人には一寸先に何が起こるか全く判りません。判らないことが、み仏のお慈悲ではないでしょうか」と言って、自分の定命を知ることができないこと、それこそが「み仏のおはからいではないでしょうか」と、ここでは法衣を来た寂聴さんの説話を聞くようです。最後には自分の90歳という年齢も定かでない朦朧とした意識の中で、「あの世とやらで、今更誰にも逢いたいとも思わない。生も死も一度きりですましたい。なむあみだぶ・・・・・・なむあみだぶ・・・・・・」と物語を閉じられます


書き下ろしの作はこれが最後であろうと作者自身が「あとがき」で書かれています。200ページほどの冊子です。

なにより川上隊長に率いられて行軍したあの25000歩の果てに辿り着いた蕎麦茶寮「澤正」を優雅に思い起こせる絶好の書でした。

川上君、書評など出る前に知らせてもらってありがとうございました。



       岡林 稔


清水寺



清水寺



清水寺



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