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皇居前から東京タワー方面を望む
都内観光バス
今回のオプションツアーは数回の幹事会並びに関東三六会総会審議で多数の賛同により決まりました。
浅草寺
お台場 後方はレインボーブリッジ
「皇居東御苑」→「浅草界隈」→「お台場」とお馴染みの場所ですが、皆さん意外と素通り程度の方が多いのではないでしょうか。 東京(日本)を代表するメジャーなスポットだけにスケール大きく、良く整備されており、旧交を温めながらゆっくり1日をすごすのにお薦めの場所かと思います。 45周年記念総会準備委員会事務局
朝一番にまず皇居東御苑を散策しましょう。 二日酔いをふっ飛ばし気分爽快になること請け合いです。 皇居は34万坪の広大な宮城緑地で堂々たる佇まいですが @宮殿(旧西の丸地区) A東御苑(旧天主、本丸、大奥、松の廊下、二の丸、三の丸等江戸城の主要施設があった) B北の丸公園(武道館、科学技術館) C外苑 と大きく分けて4つのブロックに分かれています。
赤丸で囲んだエリアが今回観光の東御苑地区
東御苑地区
今回は外苑から江戸城の中核御殿跡の東御苑地区をご案内します。
1636年竣工当時の江戸城絵図(現東御苑地区)
お堀
桔梗門:瓦に大田道灌の桔梗の
家紋があったと言われている
1590年:徳川家康入城、関八州240万石の居城となる 1600年:関ヶ原の戦い、家康勝利 1603年:江戸幕府開かれる
皇居から日比谷、帝国ホテル方面を望む この辺りは家康以前は海だった
慶長の天守 1603年 寛永の天守 1638年
平河門橋:大奥の通用門だった
内郭の門の石垣
1636年:史上空前の巨城として江戸城竣工 *堀東西6キロ、南北4キロ *城門111(外郭20、内郭11、場内80) *天守1、城櫓20、多聞26 1657年:明暦の大火により江戸城消失 1659年:江戸城再建(天守閣再建されず)
1844年、59年、63年の度重なる大火:大部分の御殿消失 1867年:大政奉還 1868年:明治天皇「江戸城西の丸」に入城
巽櫓
明治の宮殿造営の際に
明治22年石橋に作り変えられた
来年は「山内一豊の妻」がNHKで放映されますが、「百々越前」に命じ城下の湿地を埋め立て城下街を作り、高知城(大高坂山)城郭の主要部分が竣工 一豊が入城したのが1603年、一豊が亡くなったのが1605年となっているので江戸城の基礎が出来たのと高知の城下が形成されたのとほぼ同時代のようですね。
和田倉門噴水公園
和田倉門噴水公園 昭和36年今上天皇のご成婚を記念して作られ、平成7年皇太子ご成婚を記念して整備された大噴水公園 大手門 伊達政宗等が考案、工事を買って出たと言われる。 10万石以上の譜代大名が警護にあたった。
大手門
鯱
鯱 1657年明暦の大火後に再建された大手門の鯱です。 現在の大手門の前に据えてあります。
三の丸尚蔵館
皇室に受け継がれてきた絵画、美術工芸品数千点を保存一般公開している。
同心番所
同心番所 尾張、紀伊、水戸の御三家のみ駕籠に乗ったまま通ることが出来、その他の大名はここで駕籠から降ろされた。
百人番所 本丸御殿最後の固め、鉄砲百人組とよばれた根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組が交代で警護に当たった。
百人番所
汐見坂
汐見坂 現在は埋め立てやビルにさえぎられて海は見えないが昔は海がすぐ近くに見える風光明媚なところだった。
大田道灌が わが庵は松原つづき海近く ふじの高嶺を軒端にぞ見る と歌った有名な歌はこの辺りからの景色だったろうか?
宮内庁書陵部
桃華楽堂
天守台と大奥跡
北桔橋門
天守台と大奥跡 慶長、元和、寛永と徳川初期30年間に3回建て替えられたが明暦の大火(1653年)で焼け落ちた。 翌年土台の石垣のみ加賀藩により築き直されたが天守閣は再建されなかった。 カメラの位置付近が大奥の御殿があった場所。
北桔橋門と周辺の堀 大田道灌の時代には城の大手だったといわれる。 ここは天守閣、大奥に最も近い重要地点で堀は深く石垣は堅固。 オプションツアー案内 2/3へ オプションツアー案内 3/3へ 45周年記念総会準備委員会事務局
北桔橋門周辺の堀