高橋重臣さん
今、関東では桜の花が満開を過ぎて、花吹雪となって散り始めました。
君はこの桜の花と共に逝ってしまいました。真に痛恨の極みであります。
幼稚園からずっと一緒でした。小学校の頃は、現在君の病院でリハビリ療養中の加藤兼吉君と三人が潮江の“わりことし”三羽ガラスと言われていました。悪戯し怪我をしては、君のお母さんに叱られながら治療してもらいました。
今も私の右足の中指の付け根には君のお母さんに縫ってもらった傷痕が残っています。
高二の頃、医者になりたくないと、進路について悩んでいた時期もあったようですが、日本医科大学を卒業し帰郷されました。ある時、病院の屋上から潮江の家並みを見ながら“一郎、俺は潮江の野口英世になって地域の為にがんばるき”と長い顔で決意の程を語っていました。
言葉どおり君は地域医療の為にがんばりました。特にお年寄りには親切で優しい先生でした。私の両親も君が面倒を見てくれました。父は亡くなりましたが、母は今も君の病院に入院中で君の回復をずっと願っていました。
二年前君は突然倒れました。倒れる一か月前に医師会の仕事で上京中の君と昼食を一緒にしたばかりでしたので信じられませんでした。その後何回か見舞に行きましたが、とうとう最後まで言葉を交わす事はできませんでした。
奇跡を祈りましたが、奇跡は起こりませんでした。
まだまだやり残した事が沢山あった事でしょう。悔しかったでしょう。しかし君は最後までがんばりました。これからは正子夫人を中心にお子様達が立派に後を継いでくれるでしょう。天国から見守って下さい。
医療に携わる一方で君はその人望から土佐高同窓会36会の会長として、我々のリーダーでした。今、私は幼馴染の友人として又土佐高関東三六会の会長としてこの最後の手紙を書いております。会を代表して心より哀悼の意を表します。
重臣さん、安らかに、安らかに、お眠り下さい。
さようなら
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