一領具足は長宗我部氏が編成、運用した半農半兵の兵士及び組織の呼称です。
長宗我部家の後継として土佐を与えられたのは山内一豊ですが、長宗我部家の遺臣団は新領主の登場を必ずしも歓迎しませんでした。
竹内惣右衛門を中心とする一領具足は、浦戸城の引き渡しを拒否して籠城して抵抗しましたが、城内の裏切りによって開城、降伏しました。
273人の一領具足が斬首され、その首は塩漬けにされて大阪の井伊直政の元に送られたといわれています。
桂浜への花街道を東に行き詰める直前に「一領具足供養の碑」「六体地蔵」があります。
この六体地蔵は昭和14年12月野市町の吉祥寺住職が一領具足の供養をするため、野村茂久馬氏などからの浄財を得て建立したものです。
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yosuke
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