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構内案内図
宇品港
20歳の夏に「小説海軍」を読みました。 そして、主人公の谷真人に強く心引かれ、彼の短い青春の舞台となった「江田島」に一度行って見たい、と思いました。 積極的な願望、ではなかったけれどその思いは45年間消える事無く心のどこかに、引っかかっていました。
去年のアラスカの旅で知り合い妙に気があって親しくしている友人が居ます。 彼女は私の友人の中では最年長の82歳です。大連生れの新京育ち、終戦時二十歳の自称「元軍国乙女」の彼女が言いました。 「ねえ、江田島に一緒に行ってくれない?」 「知覧には何度も行ったけど、江田島には一度も行ってないのよね。死ぬまでに、一度は行かなくてはと思っているの」 元気溌剌の82歳はなかなか死にそうにはないけれど、気になることは順番に片付けましょう、ということで5月の終わりごろ、出かけることになりました。
講堂
講堂の天井
「昭和38年8月、Q太郎」と署名した破れかかった新潮文庫を後生大事にボストンバックのポケットに入れて、心は二十歳に戻して早朝の列車に乗り込んだのです。 佐世保からやってくる友人と丁度真ん中の広島で落ち合って、その夜は広島に泊まり、翌朝広島港より高速船に乗りました。 江田島の小用港まで25分、鄙びた、人影もまばらな港には、タクシーが待っていて10分ほどで旧海軍兵学校(今は海上自衛隊の幹部候補生学校や第一術科学校などがあります)に到着しました。
受付で見学の手続きをして、10時30分から構内見学へ。平日の見学時間は3回で、Q太郎達は10時30分からの最初の見学でした。 広報の自衛官の説明を聞きながら、1時間30分ほどで見学は終わりました。 入って直ぐ左にあるのが講堂です。御影石の美しい講堂は大正6年に建てられ物だそうです。 端整で気品のある建物の特にこの天井が美しくて、Q太郎は首が痛くなるほど眺めておりました。 卒業式などの式典に使われるそうで、この赤絨毯を踏んで壇上に上り卒業証書を戴けるのは1番から5番までの成績優秀者だそうです。
講堂の赤絨毯
海上自衛隊幹部候補生学校
この赤レンガの建物は旧海兵の生徒館で今は幹部候補生学校になっています。 明治時代の建物ですが、当時、労働者の一日の賃金が17銭の時代にこのレンガは一枚50銭だったそうです。 松の緑に映えて、鮮やかな赤は恐らく当時のままなのかもしれません。(当時を知らないので・・・・)
桜と錨を刻んだ階段を「谷真人」さんが軽やかに降りてくるような錯覚を覚えました。 最後に教育参考館を見学しましたが、ここは只今修復中で、殆ど見ることは出来ませんでした。残念でした。
イギリスから輸入した赤レンガ
生徒館内部
桜と錨
同行の「元軍国乙女」はしきりにハンカチを目に当てておりましたが、Q太郎は何故か涙が出ませんでした。 知覧でも上田の「無言館」でも切なさに涙ぐんだのに、「谷 真人」さんのモデルである横山正治氏の穏やかな、優しげな遺影を見、遺書を読みながら涙が出ないのが不思議でした。
目の前には海が広がり、振り返れば古鷹山が聳えていました。余り高い山ではないのですが、聳えて見えました。 見学が始まる頃、この山に登るために門から駆けて行った学生たちが早くも三々五々と今度は歩いて帰ってきていました。
古鷹山
江田島カレー
見学が終わって、友人は「念願がかなって嬉しい」とホッとした表情でした。 Q太郎は心のどこかに長い間引っかかっていた何かが、ゆっくり奥深く沈んで行くような気持ちで妙に寂しかったです。 丁度お昼で、食堂で昼食。エビフライが2匹(?2個かな)乗った江田島カレーはとても美味しかった(630円)。 留守番の連れ合いへのお土産は「五省」の書かれたカードです。
昼食後、陸路呉に出ました。 早瀬大橋、音戸大橋を渡って40分ほどのドライブは、景色もきれいで快適でした。 車で走ってみると、江田島は思ったよりもずっと大きな島で、ビックリしました。 呉では昨年クラス会の際に訪れた「大和ミュージアム」と今年4月にオープンしたばかりの「鉄のくじら館」を見ました。
大和ミュージアム
鉄のくじら
くじらは潜水艦「あきしお」です。 潜水艦の中には初めて入りましたがその狭さに驚きました。 閉所恐怖症のQ太郎にはとても、潜水艦勤務は出来そうにもありません。 コトコトと、各駅停車の列車で広島に戻り、新幹線乗り場で慌しく別れて、短い旅は終わりました。
今回の旅では同級生のT氏に大変お世話になりました。 彼の的確な助言がなければ、老女ふたり、とてもこのようにスイスイと段取り良く旅することは出来なかったと思います。どうもありがとうございました。 「五省」のカードは時々眺めております。 易きに流れがちな普通のおばさんにとっても、よき「戒め」です。 Q太郎
五省