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今からおよそ、350年前、土佐藩執政野中兼山によって作られた山田堰、そして舟入川。 川の姿が変わろうと現在に至るまで命の水を与え続けてくれています。 集合場所は高知県総合森林センターです。
土佐山田町楠目談議所で高知大学農学部 佐藤先生のお話の後歩き始めました。 当時の山田堰の構造と工夫について説明があり、今でも通じる論理が在るそうです。
筏が南国市日吉町駅前緑地公園に到着するようすです。 開発前の香長平野 山田は台地で、何国もおおそね=大変うねうねとした地の名が残る通り水の便が悪い土地でした。 工事の完成で水利が整い、米が耕作できるようになりました。
舟入川は米が耕作できることと、川を使って物流を盛んにしました。 くだりは、米木材炭茶、のぼりは新堀、種崎町で仕入れた品物を運びました。 舟たまり、宿屋、として神母木、後免、篠原、大津があります。
このほか野市、弘岡、の水利、手結、津呂港を作りました。 又郷士を取り立て治安に当てました。 その数800騎になったそうです。 藩主をしのぐ勢いが命取りになったかもしれません。 yosuke