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神田界隈パート2 お茶の水付近 (H17.7.4)



お茶ノ水付近



案内の標識


神田川の両岸、湯島聖堂(左)とニコライ堂(右)の両聖地を結ぶのが聖橋。


神田川は江戸城の外堀として人工的に掘られた川。



下流は隅田川と柳橋辺りで合流、付近には船宿や船溜まりがあり夕刻になると風情がある。


神田川下流船溜まり



ニコライ堂

ニコライ堂

標識に添って聖橋を右に行くとニコライ堂。
寸志300円を納めると長い洋蝋燭と「ハリスト聖教会」の栞を戴き聖堂内拝観をさせていただく。

天井高く祭壇にはイコン(聖像)が掲げられ荘厳な中にも清廉な雰囲気。

栞によればニコライ堂を建てたニコライ(後大主教)は1861年24歳の若さでロシアから1年を費やし単身馬車でシベリアを横断、日本に赴任し75歳の生涯を布教に捧げられた。


因みに坂本龍馬は1862年3月、28歳の時に梼原街道を通って脱藩している。

また、日本最初の正教信徒(ギリシャ正教)は坂本龍馬の義弟沢辺琢磨という方だそうな。

ニコライ堂の建築様式はビザンチン式、施工設計は鹿鳴館等を設計した英国人コンドル。

文明開化明治の東京では文明の威容と受けとめられたという。


聖壇


駿河台

お馴染み私学街。

この地で青春時代を過ごされた諸兄も多いのでは・・・

家康が駿河から江戸に移った時にこの地に有った神田山を切り崩し宅地造成、駿河から連れてきた旗本八万騎の屋敷を作ったことでこの地名となったとか。

ニコライ堂もこの一角にある。


湯島聖堂

聖橋の左袂に孔子を祭った湯島聖堂がある。

もとは林大学の頭(林の羅山)私塾であったが綱吉の時代にこの地に移し、幕府直轄の昌平坂学問所が聖堂内に設置され改組、拡充をはかった。

都心というのに鬱蒼とした巨大樹木に覆われ異国情緒豊かな廟の雰囲気もあって異空間に入った厳かな雰囲気に包まれる。


湯島聖堂



湯島聖堂


大成殿の左右に楷の巨木が立つ。


葉や枝が整然と生えることから楷書の語源と言われる。

中国では科挙試験合格者に楷の木で作った笏を与えたとか。

近くを通ることは多いと思うが案外中に入られた方は少ないのでは??

お勧めスポット。


湯島聖堂


湯島聖堂



神田明神



神田明神

聖堂の裏に隣接して神田明神で親しまれている神田神社がある。

最初は今の大手町辺りにあったようであるが関ヶ原後江戸城の大拡張時幕府によって江戸城鬼門の守護として現地に遷座された。(1616年)


神田明神



神田明神


平将門も合祀されている。

銭形平次親分は世話女房お静と明神下の長屋に住んでいたとの想定になっている。



               tomii


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