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おはらい町通りは大賑わい
おはらい町通り
江戸時代、当時の人口の1/5にあたる人々が、日本全国から「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と伊勢へ押し寄せたといわれています。 居住移動することを制限され、満足な宿泊施設もない当時の参宮は、まさに命懸けの旅であったことでしょう。
おかげ横丁入口は大賑わいです 右手前が赤福本店
全国の味が集まる おかげ横丁・味匠館
お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持ちを持って、内宮の門前町「おはらい町」の中ほどに、平成5年7月に誕生した町が、「おかげ横丁」です。 約2700坪の敷地内に、江戸から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されています。
建物は、伊勢人が「神様のお住まいと同じ平入りでは恐れ多い」と妻の部分に玄関を設けた「妻入り」と、雨風の強い伊勢ならではの外壁の仕上げ「きざみ囲い」などが特徴です。 建築材料としては、トガ(栂)材を使用しています。
おかげ横丁は入り組んでいます
おかげ横丁・おかげ座
おかげ横丁
「おかげ横丁」では、43店舗が営業しており、見て、食べて、歩いて伊勢の風情を楽しむことができます。 この「おかげ横丁」は大変なヒット商品だそうで、今回は3連休の中日ということもあり、大いに賑わっていました。 真っ直ぐな「おはらい町通り」とは異なり、路地が入り組んでおり、迷子になりそうです。
昼食は「すし久」で
おかげ横丁入口にある赤福別館
大混雑の赤福本店
金剛證寺本堂
仁王門
朝熊岳金剛證寺は、昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥の院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節にも唄われ、参宮する人々は当寺に参詣するのが常だったそうです。 伊勢志摩スカイラインの頂上付近にあります。
鐘楼
当山は欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の大道場として隆盛を極めました。 その後応永年間(1394〜1428年)に鎌倉建長寺開山大覚禅師の法孫である仏地禅師(東岳文いく禅師)が法燈の衰微を嘆き再興、以来禅時に改められ、現在は臨済宗南禅寺派、別格本山となっています。
境内
連間の池
本堂
御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・智慧の功徳を有する佛様です。 御本尊は秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度のご開帳を厳修しているそうです。
福丑
本堂 慶長14年(1609年)姫路の城主池田輝政公の寄進により再建されたもので七間六間、一重寄棟造り、向拝三間、檜皮葺の堂々たる巨宇で桃山時代の精華をつくした建物です。 外部は朱漆、内部は金箔押で内陣は拝観できます。 伊勢神宮の奥の院ともいわれる如く、御本尊の福威智満虚空蔵菩薩とともに、天照大神をお祀りし神仏習合の思想を表しています。
智慧寅
開山堂
連間の池と太鼓橋 弘法大師が掘られたと伝えられるこの池には、朱塗りの太鼓橋がかけられ、この橋を境に俗界と聖地があらわされています。 関連するホームページ 朝熊岳金剛證寺
夫婦岩
二見浦は、伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸です。 伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯です。 立石崎の二見興玉神社内にある夫婦岩は全国的に有名です。
二見興玉神社入口
二見興玉神社参道
しかしながら、夫婦岩は規模が小さいため、大きな期待を抱いてきたKホームの皆さんには極めて不評でした。 「室戸の夫婦岩の方がず〜〜と立派よ!」「手詰の夫婦岩でもこれより大きいぜよ」「これじゃあ 名ばかりで高知のはりまや橋と一緒だ」との声があちこちから聞かれました。
八大龍王大神
夫婦岩は、沖合約700mの海中に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石と伝えられる興玉神石を拝する神聖な鳥居とし、また東の空から神々しく昇る、日の大神を拝する鳥居としての役目をしているそうです。 日の出で名高い夫婦岩ですが、実際に岩の間から日の出を見ることが出来るのは4月〜8月の間です。
二見興玉神社境内
6月の夏至の前後1週間は岩の中央から日の出が昇り、天気が良ければその背に霊峰富士を仰ぐことができるそうです。 また冬至の前後(11月〜2月頃)には、岩の間から満月が昇ります。 朝日とはまた別の幻想的な趣を感じることができるようです。
一番先が二見興玉神社
冬場は波飛沫が
夫婦岩の男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、長さ35mの大注連縄が5本張られています。 大注連縄は太さ10センチで、1本の重さが40kgあります。 大注連縄張は年3回張り替えが行われます。
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土産品店